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日時:2016年10月27日 12:05 投稿者:pt21c

演題:賀茂の文化

講師:田中 安比呂 氏 賀茂別雷神社宮司

【講演概要】

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ/上賀茂神社)のご祭神は賀茂別雷神。

『山城国風土記』逸文等によると、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が、

天神の放った紅い矢に感応して生んだ子とされ、大きな雷を分け入って天に上っていった

力の強い神様ということで、この名前を頂いたとされる。

ちなみに賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ/下鴨神社)には、母である玉依比売命と、

祖父にあたる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が奉られている。

当神社には神話に基づく神事が数多い。日本初代天皇とされる神武天皇東征の際、

道案内をしたと伝わる八咫烏(やたがらす)にちなんだ「烏相撲(9/9日)」、

玉依比売命が禊(みそぎ)の際に拾った矢によって子を宿したことにちなんだ「斎王代御禊(5/4日)」、

神のお告げに従い馬を走らせた「走馬の儀(5/5日)」、賀茂別雷神の父神探しのため、

全国の神様を集めたことにちなんだ「賀茂祭神饌(しんせん)」等々。

また5/12日には、神様に天から降りてきて頂く「御阿礼(みあれ)神事」を神職だけで斎行されている。

京都三大祭のひとつとして知られる賀茂祭が始まったのは6世紀半ば。風土記によると、

不安定な天候や流行り病が続いたことから「卜い(うらない)」の言葉に従い、

神山での神事を改めてしっかり行ったところ、世の中が収まったため、以来毎年の国家的行事となった。

天皇が国民の幸せをひたすら祈る祭りで、当初神山で執り行っていた祭りを、

678年からは社殿で行うようになり、陰と陽を象徴する2つの立砂が神様の依代の役目となっている。

平安から鎌倉までは天皇の皇女様が斎王としてお務めをし、神様と一晩過ごすお役目が、

実に大きな意味を持ち、当時の和歌にも残されている。

賀茂祭が通称「葵祭」と呼ばれるようになった所以は、2本の枝の間に花が咲き、

種を落として子孫を増やし、茎が伸びて増え続ける縁起の良いアオイが各所に飾られるため。

「葵」は古歌では「あふひ」とされ、「ひ」には神様の御霊という意味があり、

この葵によって神様に会うことができ、人と人の出会いをもたらしてくれるとされている。

当神社は本殿と権殿(ごんでん)が並び、21年毎に式年遷宮を執り行い、

日本文化・技術の継承に努めている。現在御殿は国宝、その他の建物が重要文化財のため、

修復によって遷宮とし、神様にお住まい頂いている。毎年の葵祭(5/15日)当日には、

約500人の衣裳を纏った行列等があるので、是非一度ご覧頂きたい。

本日は皇紀2676年丙子の日、皆様との御縁も、葵によって結ばれた御縁と感謝申し上げる。


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