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日時:2016年5月31日 13:08 投稿者:pt21c

演題:宗良親王と井伊谷宮

講師:岡部和弘 氏(井伊谷宮 宮司)

【講演概要】

宗良(むねなが・むねよし)親王は、後醍醐天皇の第四皇子(宮内庁皇譜による)として誕生。

母・為子が早く亡くなり、十歳のときに出家して仏道に入った。

その後、鎌倉幕府に反した父・後醍醐天皇が隠岐に流された際、宗良親王も讃岐へ流されたが、

全国に討幕の機運が高まり、建武の新政となった。しかし足利尊氏側と対立し南北朝時代になると

宗良親王は仏門を離れ、南朝方の軍勢を固めるため、遠江の井伊家の元へやってきた。

井伊家は約千年前に井伊谷に土着し、その土地の名前を名乗っている。

井伊家は彦根藩主のイメージが強いが、遠州井伊谷出身であることを忘れないでほしい。

宗良親王の妃となった駿河姫は、現在の気賀で逝去。悲しんだ親王は、

この地に金地院を建立して姫の菩提を弔い、二宮神社を建て、姫を祀っている。

またあるとき、親王が伊勢から船で遠江を目指していたとき、大嵐に巻き込まれ、

辿り付いたのが白羽の湊(現在の白羽町)だった。その地に住む清水家の歓待を受け、

井伊谷へ向かう途中、三社神社(鹿谷町)で粟粥を食べたとされ、

現在も当神社では雑穀を供える祭りが行われている。さらに神社出発の際に一羽のカラスが飛び立ち、

親王が「神の使いだ」と、勝利に導くヤタガラスにちなんだ話をして皆を励ましたといわれる。

この伝説にちなんで、浜松祭りの凧に「ひがらす」を絵柄にした町がある。

宗良親王は歌人としても名高く、父逝去の知らせを受けた際には、

「思ふには なほ色あさき 紅葉かな...(父を失った悲しみの気持ちは、

真っ赤に燃えた紅葉の色よりも深い)」と歌った他、多くの歌を詠んだ。

そして南朝の人々の歌を和歌集にまとめ、後世に伝えた。

全ての城を滅ぼされ、各地を転戦した親王は、73歳で亡くなり、

奥山方広寺で葬儀が行われたとされる。墓は龍潭寺に造られ、長年ひっそりと守られてきた。

それが五百年経った明治5年、天皇の命令により、親王を御祭神とする井伊谷宮が創建された。

近代社格制度時代には、県内三番目の格式があり、当神社は国家予算で賄われていたが、

戦後衰退。昭和45年から実父が宮司となり、その後を私が引き継ぎ現在に至る。

地元の方をはじめ皆さまの応援のお陰で、お守りできていることに感謝している。

来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」では、宗良親王が生きた時代から二百年後の井伊家当主、

直虎が描かれる。自分が在宮のときはご案内するので、多くの方に、

宗良親王そして井伊家ゆかりの井伊谷へおいで頂きたい。


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