「自由語会」(航空自衛隊浜松基地との交流会)参加へのご案内
日 時 11月27日(水) 午後6時半から8時半まで
会 場 21世紀倶楽部 15階 L会議室
講 師 航空自衛隊第1航空団
浜松基地援護室長
2等空佐 宮里 成晃 氏
演 題 「海外派遣よもやま話」
参加費 2,000円
申込み 下部の申込用紙にご記入の上、21世紀倶楽部事務局へ
<ファクス:053(455)2021>でご連絡下さい。
*「自由語会」とは 航空自衛隊浜松基地と21世紀倶楽部の会員有志が
自由に語り合い、交流と理解促進を図るのが目的で、毎月1回、
開催しています。21世紀倶楽部会員はどなたでも参加できます。
10月 セミナーレポート
2013年10月22日(火)21世紀倶楽部月例セミナー
演題 『武士の家計簿』の著者が語る浜松の歴史
講師 磯田道史氏
静岡文化芸術大学文化政策学部准教授
【講演概要】
「武士の家計簿」の研究後、忍者について調べたいと資料集めを進めてい
たとき、東日本大震災が起こった。どんな研究より緊急に、地震や津波の
古文書を調べる必要があると、浜松へ来ることを決めた。
中世以降の南海トラフの動きを見ると、百年に一回は地震が発生している。
太田川近くにある遺跡の津波堆積物を見ると、887年の仁和地震と1498年の
明応地震が10mを超える特大の津波が来たと考えられる。浜松では13m高さの
堤防が造られる予定。8.5~9mの津波ならば効果はあるが、10mを超える津波で
は乗り越えられてしまう。そのことも視野に入れ、今後の対策を考える必要がある。
次に秀吉・家康と浜松の関係を紹介しよう。尾張出身の秀吉は、父の遺産を分けて
もらい、針を売りながら東へ旅をして、浜松を訪れたとき、松下加兵衛と出会った。
元禄時代の馬込村は、山伏だけで形成された特殊な村で、松下氏は頭陀寺の豪
族として、その周辺一帯を領地としていた。加兵衛に召し抱えられた秀吉は、引馬
城(現在、東照宮がある場所)の飯尾氏の元へ連れて行かれ「湯に浸かり、絹の衣
装をまとうと、見た目の悪い秀吉も、前よりマシになった」という。以後、松下家の草
履持ちから奉公し、3年ほど浜松に滞在。その後、尾張に戻り太閤にまで登りつめ
た。一方家康は、秀吉のちょうど20年後、浜松にやってきた。家康は、最初は現在
の磐田市見付に城を築く計画をしていたが、信長の命令で浜松に築城。引馬城に
一年ほど滞在し、その後浜松城に移り住んだ。引馬古城一角は、秀吉・家康両者
が訪れた場所であり、現在も当時の面影が漂う趣き深い場所。浜松の遺跡として
実に重要なところだと思う。三方ヶ原合戦の時期、武田軍のあまりの強さに、信長
は前々から「浜松は任せて岡崎へ移れ」と言っていたが、家康は「浜松を去るくらい
なら武士を辞める」と言ったという。武田軍に追われた浜松の民に対して、家康の威
厳を守るには、信玄に立ち向かうことが必要。人間の心理状態を捉えるのに長けた
家康にとって、浜松を死守するのは武士生命で重要だったのだ。とはいえ、家康の
敗走は、家来たちが追いつかないほど猛スピードだったようで、城に戻ったとき、あ
まりに少人数だったため、殿と思われず、なかなか中に入れてもらえなかった、など
の家康伝説も遺っている。
講師:磯田道史氏