日時:2026年4月15日 12:04 投稿者:pt21c

講演写真  木下社長.jpg『夢とロマンと感動を! 〜世界一の魂の集団を目指して〜』

講師 木下サーカス株式会社 代表取締役社長 木下唯志 氏

【講演概要】

 木下サーカスは1902年、祖父・木下唯助が20歳の時に中国の大連で旗揚げした。1937年、日中戦争が始まると名古屋の東山動物園に象4頭を寄贈。当時、軍部の命令で動物園の動物は全て殺されたが、この象は園長が山奥に匿い2頭が生き残った。1949年にこの象に会いたい子どもたちを「ぞう列車」が名古屋に運んだ。この逸話は平和のシンボルとなっている。1948年に父の木下光三が二代目に就任。東南アジアに慰問に行き、フィリピンでは大統領夫人と共に子ども病院の寄付をした。自分は中学1年の時に「人間はなぜ生きているのか」と疑念を持った。明治大学経営学部に進学後、20歳の頃に内村鑑三の『後世への最大遺物』という本に出会い、人生は素晴らしいと信じ、それを実行していくことが大切であると教えられた。大学から剣道を始める。警視庁主席師範だった森島健男範士に剣道部で指導を受けた。宮本武蔵の『鍛錬』、勝海舟の『小心翼々、大胆不敵、油断大敵』など大切な教えを授かった。卒業後は銀行の内定を断り、木下サーカスに入社。3年後に空中ブランコの落下に失敗して頸椎を圧迫損傷、マイコプラズマ肺炎が悪化して一時は危篤。3年間療養中に信貴山断食道場で断食修行をして回復。吉田修先生の『末代の幸福』の教えを授かる。1981年神戸ポートアイランド博覧会で海外本部長として復帰し、興行は大成功。兄・木下光宣が三代目社長となり、岡山に本社を建てたが、1990年に病に倒れて死去。その時負債が10億円近くあったが、剣道部時代の「絶対にあきらめない」心で乗り越え、姫路での公演を成功させ復活。1995年の阪神淡路大震災の時は被災者の方を元気づけるために8万枚の招待券を贈った。2011年にはサーカスの五輪と言われるモンテカルロ国際サーカスフェスティバルで日本人初の審査員を務め、2015年には世界サーカス連盟の大使となる。2020年のコロナの非常事態宣言の時は5ヵ月休業。2022年の『木下サーカス生誕120周年史』に歌手のMISIAさんが「歌や舞台は不要不急のものだろうか?ワクワクしたり夢を見たりすることは、人が生きる上で必要なものだ」というメッセージを寄せてくれた。
 ダイアナ・ロスが「信じて生きれば 夢はきっと叶えられる」と歌う『If We Hold on Together』、松下幸之助翁の「万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵に立て。その時はじめて新たなる風は必ず吹く」という言葉を、常に団員たちに伝えている。そして、京セラの稲盛和夫名誉会長が京セラフィロソフィーで説いたように、木下フィロソフィーを確立して世界一の魂の集団を目指していきたい。スズキの鈴木修氏の「半歩で1秒」、オムロンの立石義雄氏の「逆ピラミッド運営」、明治大学の大先輩、村山富市氏のサミュエル・ウルマン「青春の詩」など、出会った方々からの言葉は貴重な糧である。経営はデザイン。未来に向けてこうありたいという「ビジョン」を構想し、形にしていく。ブランド力の強化と新たなイノベーションの創造だ。山岡淳一郎氏の『木下サーカス四代記』では観客動員力の秘密は「一場所、二根(プロモーション)、三ネタ(内容)」としている。私は「一日一死」の思いで今日一日を真剣に生き抜くことが、関を越える力、すなわち困難を超える力になると信じている。


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