『夢とロマンと感動を! 〜世界一の魂の集団を目指して〜』
講師 木下サーカス株式会社 代表取締役社長 木下唯志 氏
【講演概要】
木下サーカスは1902年、祖父・木下唯助が20歳の時に中国の大連で旗揚げした。1937年、日中戦争が始まると名古屋の東山動物園に象4頭を寄贈。当時、軍部の命令で動物園の動物は全て殺されたが、この象は園長が山奥に匿い2頭が生き残った。1949年にこの象に会いたい子どもたちを「ぞう列車」が名古屋に運んだ。この逸話は平和のシンボルとなっている。1948年に父の木下光三が二代目に就任。東南アジアに慰問に行き、フィリピンでは大統領夫人と共に子ども病院の寄付をした。自分は中学1年の時に「人間はなぜ生きているのか」と疑念を持った。明治大学経営学部に進学後、20歳の頃に内村鑑三の『後世への最大遺物』という本に出会い、人生は素晴らしいと信じ、それを実行していくことが大切であると教えられた。大学から剣道を始める。警視庁主席師範だった森島健男範士に剣道部で指導を受けた。宮本武蔵の『鍛錬』、勝海舟の『小心翼々、大胆不敵、油断大敵』など大切な教えを授かった。卒業後は銀行の内定を断り、木下サーカスに入社。3年後に空中ブランコの落下に失敗して頸椎を圧迫損傷、マイコプラズマ肺炎が悪化して一時は危篤。3年間療養中に信貴山断食道場で断食修行をして回復。吉田修先生の『末代の幸福』の教えを授かる。1981年神戸ポートアイランド博覧会で海外本部長として復帰し、興行は大成功。兄・木下光宣が三代目社長となり、岡山に本社を建てたが、1990年に病に倒れて死去。その時負債が10億円近くあったが、剣道部時代の「絶対にあきらめない」心で乗り越え、姫路での公演を成功させ復活。1995年の阪神淡路大震災の時は被災者の方を元気づけるために8万枚の招待券を贈った。2011年にはサーカスの五輪と言われるモンテカルロ国際サーカスフェスティバルで日本人初の審査員を務め、2015年には世界サーカス連盟の大使となる。2020年のコロナの非常事態宣言の時は5ヵ月休業。2022年の『木下サーカス生誕120周年史』に歌手のMISIAさんが「歌や舞台は不要不急のものだろうか?ワクワクしたり夢を見たりすることは、人が生きる上で必要なものだ」というメッセージを寄せてくれた。
ダイアナ・ロスが「信じて生きれば 夢はきっと叶えられる」と歌う『If We Hold on Together』、松下幸之助翁の「万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵に立て。その時はじめて新たなる風は必ず吹く」という言葉を、常に団員たちに伝えている。そして、京セラの稲盛和夫名誉会長が京セラフィロソフィーで説いたように、木下フィロソフィーを確立して世界一の魂の集団を目指していきたい。スズキの鈴木修氏の「半歩で1秒」、オムロンの立石義雄氏の「逆ピラミッド運営」、明治大学の大先輩、村山富市氏のサミュエル・ウルマン「青春の詩」など、出会った方々からの言葉は貴重な糧である。経営はデザイン。未来に向けてこうありたいという「ビジョン」を構想し、形にしていく。ブランド力の強化と新たなイノベーションの創造だ。山岡淳一郎氏の『木下サーカス四代記』では観客動員力の秘密は「一場所、二根(プロモーション)、三ネタ(内容)」としている。私は「一日一死」の思いで今日一日を真剣に生き抜くことが、関を越える力、すなわち困難を超える力になると信じている。













































































































2026年4月23日(木)21世紀倶楽部月例セミナー
『地方における若者流出の実態〜静岡県西部地域の実情〜』
講師 一般財団法人 静岡経済研究所 理事長 馬瀬和人 氏
【講演概要】
人口の増減には出生数-死亡数の「自然動態」と、転入数-転出数の「社会動態」がある。日本では自然減が大きな課題だが、地方都市では人口の流出という社会動態が自然減に拍車をかけている。若者世代については「進学や就職を機に都市部へ流出」「特に女性の流出が多い」「出て行ったまま帰ってこない」という通説がある。静岡県は転出超過者数が男女とも全国でワースト1位。10代で域外へ転出した若者が、20代の転入でどの程度回復したかを示す「若者回復率」という指標があるが、静岡県全体の日本人では男性44.9%、女性9.1%。浜松市は外国人を含む総人口では男性396.6%、女性71.2%だが、日本人だけだと男性67.9%、女性18.1%。区別では、中央区は回復率が高いが、天竜区は10代も20代も減少。浜松市の15歳から39歳の転入率・転出率は県平均を下回っており、流動性は低いエリアといえる。主な転出入先としては、近隣の湖西市、袋井市、掛川市などからは転入超過だが、愛知県、東京都、神奈川県、関西方面については転出超過。浜松市に住む外国人の国籍はブラジル、ベトナム、フィリピンの順に多い。浜松市以外の西部地区6市1町の若者回復率は2極化。総人口では磐田市、袋井市、掛川市、菊川市の回復率は高いが、湖西市、御前崎市、森町は10代、20代ともに転出超過。日本人に限定すると女性で100%を超えているところはない。15~39歳の転入率・転出率は浜松市より流動性が高い。御前崎市以外は国外からの転入率が県平均より高く、外国人労働者に頼っていることが特徴だ。近い地域での移動が多く、転出入先では浜松市が多い。愛知県、東京都、神奈川県、関西方面については転出超過。これらのことから、通説通り日本人の若者の回復率は低く、特に女性の回復率は極めて低いことがわかる。また、地方では外国人の存在感が大きくなってきている。ただし転入率、転出率とも20%前後で、4分の3の人たちは地元に定着しているという事実もあり、その人たちの意見を聞くことも大事である。
男女共同参画白書のデータによれば、女性が地方に戻らない理由は、「希望する進学先が少なかった」「やりたい仕事や就職先が少なかった」が多い。仕事は人生の大きなファクター。行政ではなく、民間企業がやりがいのある仕事をしっかり女性に与えられるかが重要だ。もう一つ、「地元から離れたかった」「親や周囲の人の干渉から逃れたかった」という理由が男性より圧倒的に多いことも特徴である。打開策の事例として兵庫県豊岡市の「ワークイノベーション推進会議」「あんしんカンパニー制度」がある。女性が働きたい仕事・職場への改革に積極的に取り組む事業所を増やし、さまざまな情報や成果を地域の財産として共有することに務めている。もう一つは岐阜県岐阜市の「ぎふし共育都市プロジェクト」。子育ては母親の役割という固定概念を打破し『家庭の子育て力』と『地域・社会の子育て力』の育成を柱とする。岐阜市は社会減が続いていたが、2022年度からは3年連続社会増に転じたという成果が上がっている。
人口減少はもはや行政だけで解決できる事象ではない。民間企業、経済団体が行動を起こすことが大事。そして当事者の女性の意見をしっかり聞いて、解決策を導き出すことが重要だ。