
『自民圧勝の背景と高市政権のゆくえ』
講師 共同通信社 編集委員兼論説委員 久江昌彦 氏
【講演概要】
今回の衆議院選挙は自民党の大勝となった。316議席取ったが、比例候補が足りなくて14議席を他の党にあげてしまったのだから、自民党すら読めなかった大勝利。なぜか。日本の選挙は自民党が良いか悪いかが基準になっている。今回、野党が多党化したことが小選挙区でプラスに働いた。もう一つは、中道ができたのだが、組織票の創価学会と連合を含めて、1+1が2にならずに議席換算するとなぜか0.3になってしまった。自民党が高市効果で伸びて、中道がへこんで大差が開くトランポリン効果となった。その理由はSNS。今回は参政党などのネット政党のお株を完全に奪ってしまった。パソコンに自民党候補専用サイトがあり、毎日インスタグラムやショート動画用のテンプレートが来る。動画用は30秒のうち25秒間が高市さんの言葉で最後の5秒に候補者の名前と政党を入れるかたち。これを毎日大量に発信。完全に高市さんを前面に出してバズらせた。では、これからはバズる人間でないと総理になれないのか?地域のコミュニティーも業界団体も組織票というものが緩み、減少している。昔は家族でNHKのニュースを見ていたが、今は一人一人スマホで個の世界に入っている。おそらくこの流れはこれからも変わらない。それに対して私は非常に懸念を抱いている。
その結果、高市一強の時代となった。自民党の議員は高市さんに表立って何か言ったりできない。その陰で野党の存在感は激しく低下。そこで、自民党に派閥復活の動きが出ている。自民党はイデオロギーを持った純然たる組織政党ではなく、地域代表と業界団体の集まり。いろいろな個人事業主の人間がいる幕の内弁当、自分党。それが自民党の強さ。だから、派閥ができるのは必然。中で権力闘争をしたりすることで、権力監視など良い部分はある。逆に、高市さんの一声でみんなが動いてしまったら怖い。派閥が健全な形で復活するのはよいと思う。
予算に関して。高市さんは国会対策委員会を経験していないし、政治日程のカレンダーをほぼ見ていないので、「年度内にやって」といきなり言うが、みんなドン引き。その中で参院幹事長の石井準一さんだけが「なんとか作ってみましょう」と言って今年度内成立の日程を組んでいる。基本的に人に相談しないで言うということが総理の特徴だ。
今後、大きなスキャンダルや失言などがない限り、2028年の夏の参院選まで国政選挙はない。その時にダブル選挙となる可能性は低い。過去の歴史を見ると、日本の政治は参議院選挙で動いている。1989年、社会党が大勝し、1993年に細川政権発足。2007年、第一次安倍政権が過半数を割り、2009年に民主党が政権獲得。2010年に菅直人政権が大敗し、2012年に自民党が政権を奪回した。衆議院と参議院は飛行機の両翼。今は衆議院で3分の2を取っているが、何でもかんでもやったら世論の批判は強まるし、参議院で問責決議が出る。参議院では今、5議席欠けている。だがこれまでと違うのが、与党協力の予備軍がいること。したがって高市政権は当面続く。野党の影響力は著しく低下し、自民党内で権力闘争が強まる。維新の影響力も低下しているので埋没しないよう高市さんに協力する、という流れになると思われる。












































































































2026年3月25日(水)21世紀倶楽部月例セミナー
講師 木下サーカス株式会社 代表取締役社長 木下唯志 氏
【講演概要】
木下サーカスは1902年、祖父・木下唯助が20歳の時に中国の大連で旗揚げした。1937年、日中戦争が始まると名古屋の東山動物園に象4頭を寄贈。当時、軍部の命令で動物園の動物は全て殺されたが、この象は園長が山奥に匿い2頭が生き残った。1949年にこの象に会いたい子どもたちを「ぞう列車」が名古屋に運んだ。この逸話は平和のシンボルとなっている。1948年に父の木下光三が二代目に就任。東南アジアに慰問に行き、フィリピンでは大統領夫人と共に子ども病院の寄付をした。自分は中学1年の時に「人間はなぜ生きているのか」と疑念を持った。明治大学経営学部に進学後、20歳の頃に内村鑑三の『後世への最大遺物』という本に出会い、人生は素晴らしいと信じ、それを実行していくことが大切であると教えられた。大学から剣道を始める。警視庁主席師範だった森島健男範士に剣道部で指導を受けた。宮本武蔵の『鍛錬』、勝海舟の『小心翼々、大胆不敵、油断大敵』など大切な教えを授かった。卒業後は銀行の内定を断り、木下サーカスに入社。3年後に空中ブランコの落下に失敗して頸椎を圧迫損傷、マイコプラズマ肺炎が悪化して一時は危篤。3年間療養中に信貴山断食道場で断食修行をして回復。吉田修先生の『末代の幸福』の教えを授かる。1981年神戸ポートアイランド博覧会で海外本部長として復帰し、興行は大成功。兄・木下光宣が三代目社長となり、岡山に本社を建てたが、1990年に病に倒れて死去。その時負債が10億円近くあったが、剣道部時代の「絶対にあきらめない」心で乗り越え、姫路での公演を成功させ復活。1995年の阪神淡路大震災の時は被災者の方を元気づけるために8万枚の招待券を贈った。2011年にはサーカスの五輪と言われるモンテカルロ国際サーカスフェスティバルで日本人初の審査員を務め、2015年には世界サーカス連盟の大使となる。2020年のコロナの非常事態宣言の時は5ヵ月休業。2022年の『木下サーカス生誕120周年史』に歌手のMISIAさんが「歌や舞台は不要不急のものだろうか?ワクワクしたり夢を見たりすることは、人が生きる上で必要なものだ」というメッセージを寄せてくれた。
ダイアナ・ロスが「信じて生きれば 夢はきっと叶えられる」と歌う『If We Hold on Together』、松下幸之助翁の「万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵に立て。その時はじめて新たなる風は必ず吹く」という言葉を、常に団員たちに伝えている。そして、京セラの稲盛和夫名誉会長が京セラフィロソフィーで説いたように、木下フィロソフィーを確立して世界一の魂の集団を目指していきたい。スズキの鈴木修氏の「半歩で1秒」、オムロンの立石義雄氏の「逆ピラミッド運営」、明治大学の大先輩、村山富市氏のサミュエル・ウルマン「青春の詩」など、出会った方々からの言葉は貴重な糧である。経営はデザイン。未来に向けてこうありたいという「ビジョン」を構想し、形にしていく。ブランド力の強化と新たなイノベーションの創造だ。山岡淳一郎氏の『木下サーカス四代記』では観客動員力の秘密は「一場所、二根(プロモーション)、三ネタ(内容)」としている。私は「一日一死」の思いで今日一日を真剣に生き抜くことが、関を越える力、すなわち困難を超える力になると信じている。